広瀬淡窓/木村耕巌
1782.5.22-1856.11.28享年75
天明2年-安政3年
江戸時代
大分県豆田町魚町/博多屋三郎右衛門/長男
聡明で10歳時:松下筑陰師事
16歳:福岡亀井塾入塾入門
:亀井南冥/昭陽父子師事
19歳:大病を患い帰郷
儒学者/教育者/漢詩人
長福寺/法幢上人『詩経』を学ぶ
1805年24歳豆田町長福寺寺境内の
学寮を借りて塾を開く
桂林荘:咸宜園へと発展させた
咸宜園は.淡窓の死後も10代の塾主によって.明治30年:1897年まで存続し.運営された。江戸時代の中で日本最大級の私塾となり、80年間で学んだ入門者は.約4,800人と言われている。引用:ウィキペディア
*木村耕巌こうがん.1830-1911享年82
福岡県生まれ。若松の南画家。中西耕石に山水画を学ぶ。松岡景文に師事し小田海仙に南画を学ぶ。門人に新谷鉄僊/松岡呉藍らがいる。
続:小田海仙
広瀬淡窓御縁
頼山陽
田能村竹田
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