吉嗣拝山
1846-1915享年70
出身/福岡県:太宰府
江戸時代末期-大正時代活躍
南画家/漢詩人
山水画:花鳥画を得意とし
芦雁図に優れていた
1877年/清:中国に渡り画を研究し
南画の研鑽を積む
地方の名家として名をなした
19歳/*広瀬淡窓私塾「咸宜園」入門:漢詩を学ぶ。
22歳/京都に上がり/師事:中西耕石入門:南画を学ぶ。
明治維新後/太政官に出仕し、災害により右腕を失い職を辞す。
翌年上京。大学昌平校に通学し、亀谷塾で塾生の世話にあたる。
信州*児玉果亭
愛知:山本梅荘
九州:吉嗣拝山
東宮:後の大正天皇の九州巡遊の際には、御前で梅花を描いて喝采を受け、1894年には第4師団より英国王室献上するための『富岳の図』を制作した。フランスの東洋美術研究家ミジヨンに作品が賞賛されるなど、国内外にも名声を評された。
筆記:静涯心結