太宰春台
1680.11.5-1747.7.7享年66歳
江戸時代中期/儒学者/経世論者
出身:長野県飯田市
『経済』という言葉を広めた人物
平手政秀:戦国時代武将/織田.信秀・信長2代に仕える
政秀の孫:汎秀:戦国時代から安土桃山時代武将の子孫
平手言辰:父親の代に太宰謙翁の養子となった
その後飯田藩士となったが浪人として9歳江戸へ出た
20代:漢詩/天文学/地学/朱子学/を勉強する
30代:研究/執筆活動/に入り江戸小石川に塾を開く
多くの門人:松崎観海/文雄/五味釜川/稲垣白嵓/渡辺蒙庵/関口黄山/小宮山昌世/原雲沢/を育てた
何人かの大名から支援された。
荻生徂徠 に古文辞学を学び
経世学の分野で徂徠学を発展させ
経済学を『経世済民』と世界に通用する理論を展開
公的側面を継承し経世論を発展させ
『経済録』 で幕政改革を示した
「経済こそが政治の中における基本的な要素である」と政治の中における経済の重要性を強く力説した。当時、儒学者や為政者の誰もが明確にし得なかった経済を学問的に体系化して施策の具体的指針を示したことは、後世の経済学の発展に極めて偉大な貢献をしたとして高く評価されるべきことである。引用:飯田市立図書館
8年9.14/1680.11.5
4年.5.30/1747.7.7
著作:聖学問答(36) /経済録/詩論/独語/紫芝園漫筆/等 51種に及ぶ。『重刻古文孝経』は全国に普及し版/中国清朝でも翻刻された。征夷大将軍こそが日本国王であり、鎌倉・室町・江戸の3時代それぞれに別個の国家が存在したと説いた。その秀才は孔子の弟子『子路』の見本となった。
【格言:独り言】位高き人に,ものの上手はなきものにて上手はいつも賤しき者に出来(いでく)るなり
筆記:静涯結心