後光明天皇
後光明天皇享年21
1633.4.20-1654.10.30
江戸時代初期
将軍/徳川家光ー徳川家綱の時代
京都の生まれ
父:第108代:後水尾天皇/第4皇子
名:紹仁
母:藤原光子/*園基任.娘/*壬生院
養母:東福門院和子/徳川2代将軍:秀忠.娘
1642年:親王宣下
この婚姻は後水尾天皇が即位した翌年の1613年から水面下で進められていた。
当時17歳の後水尾天皇と6歳だった徳川和子の嫁入りが決められてた。
徳川和子の入内は将軍家が天皇の外戚となる政略結婚であった。
この縁談に消極的な後水尾天皇が退位する意向を示していた。 と、言われている。
幕府は政治基盤を固める必要があり朝廷との関係を深め朝廷を監視下に置くことが重要な時期であった。
1643.異母姉/第109代/明正天皇/譲位を受けて即位
11歳の為
父:後水尾上皇が引き続き院政を行う
徳川氏は外戚の地位を保つ
164311.14-1654.10.30
在位期間12年
幼名:素鵞宮/すがのみや
10歳で元服/即位10年/後
21歳no生涯
仏教を嫌い/剣術/学問を好む
儒学/朱子学/漢学/漢詩/詩作
室町時代/応仁.文明の乱1467-1477伊勢例幣使を再興
20歳/後光明天皇は自ら政務を取る
*疱瘡/京都で没
22歳
幕府による毒殺も噂された
父:後水尾上皇は短慮を慎む事
仏神を敬い学問に励むこと
幕府に弱みを握られないこと
行動を律することなど
3回にわたる*訓戒書を与えた
*訓戒:くんかいとは『物事の善悪』を教え悟し戒めること
人生における善悪を理解させる為に教訓として『教え諭す』
規則を破った者に課される懲戒処分
紹仁: つぐひと
*園基任:そのもととう
*壬生:みぶ院
*疱瘡:ほうそう
*月輪陵:つきのわのみささぎ
漢詩91編/和歌を収めた
『鳳啼集』
ほうてい集
筆記:静涯結心