吉嗣拝山
1846弘化31915大正41月11日享年70歳
福岡県出身
大宰府画壇を盛り上げた
九州を代表する南画家
山水画/花鳥画/芦雁図/を得意とした
大正天皇九州巡の御前.梅花を描く
1894年第4師団より英国王室献上『富岳の図』制作
貧しく13歳から太宰府の三条町六度寺宿坊で働く
本田竹堂をたよって岩潭書塾に入る
19歳*広瀬淡窓の私塾「咸宜園」に入門漢学を学ぶ
学費を按摩の内職をしながら勉学に励む
22歳京都に移り南画中西耕石師事
明治維新により岡山備中倉敷に役人として赴任
暴風雨.神田橋内で屋根の下敷きなり重傷を負う
右手切断4ヶ月入院役人を辞して
これを機に画道に専念する
中国楊州/蘇州/杭州西湖/景観を詩.書画.研究に励む
秀作を多く残し左手拝山とも称された
信州:*児玉果亭
愛知:山本梅荘
九州吉嗣拝山
と共に地方南画家の三傑と称された
門人に藤瀬冠邨/岩崎天外/守田洞山/入江之介等
愛宕
引用:福岡県立美術館収蔵品
「山水図」明治37.1904
紙本墨画淡彩・六曲一双屏風
各173.6×460.0cm
2020 Fukuoka Prefectural Museum of Art.
近代日本画名品10選
筆を細やかに使って岩肌や樹木を描き、秋らしく淡い彩色を施し、一方左隻は、水気を多く含んだ筆で、墨の濃淡で山々の湿潤な空気感を見事に表現しています。大きな画面を描く力もさることながら、中国美術の先人たちに学ぶ画技の豊かさにも驚かされます。本作は、拝山の最も脂の乗った時期の作品と言えるでしょう。
筆記:静涯結心