黄檗木庵
木庵性瑫享年74歳
1611.3.16-1684.3.6
万暦39.2.3貞享元年1.20
1648年:黄檗山/隠元隆琦に学ぶ
江戸時代前期.明国から渡来
1655年:日本に渡った隠元の招きに応じる
寺院各地滞在
京都宇治:黄檗山萬福寺へ入る
1664年:隠元の後を継ぎ萬福寺法席につく
萬福寺歴代随一の功績を残す
大雄寶殿/萬福寺本堂
『歴史的建造物』
下層の額「萬徳尊」木庵書
上の額「真空」明治天皇の御宸筆
1665年:江戸を訪れ4代将軍/徳川家綱に謁見し優遇される
江戸紫雲山瑞聖寺を初め10余寺を開創し門下50人に及んだ
1669年:紫衣を頂戴「黄檗宗」を広める
1680年法席を次代に譲り隠居した
書に優れ新書風を伝える
当時日本の伝統にはなかった書壇に
力強さ重厚さの多大な影響を及ぼした
隠元隆琦:いんげんりゅうき
1592.12.7-1673.5.19
1654年日本国に渡る
京都宇治:黄檗山萬福寺黄檗禅を伝える
弟子:木庵/即非
続いて来日し黄檗宗の確立に努めた
中国明朝時代の臨済宗を代表する僧
中国福建省福州府福清県にある
黄檗山萬福寺のご住職をされていた
日本からの度重なる招請に応じ63歳の時に弟子20名を伴い1654年に来朝された。宇治の地でお寺を開くにあたり、隠元和尚は寺名を中国の自坊と同じ「黄檗山萬福寺/おうばくざんまんぷくじ」と名付けた。
引用:黄檗宗大本山萬福寺
萬福寺と黄檗宗
黄檗三筆 :おうばくさんぴつとは
江戸幕府の儒学奨励の元.おうばく宗をもたらした中国明の3人の僧侶:隠元・木庵・即非のこと。書法に基づき.黄檗流の一派をなし唐様(中国)の書の発展の手掛かりを見出した。
続:即非如一/そくひにょいつ
筆記:静涯結心
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